RIGHT STUFF, Inc.Right Stuff Wrong Stuff2005年 玄海100kmウルトラマラソン 2004年は本業の超多忙と腰痛の為に参加できなかった玄海100km、今年はめでたく参加できました。とは言っても皆生トライアスロン初挑戦のために夏の練習時間のかなりの割合をスイム練習に費やしており、走り込みがかなり不足気味なのが不安です。 皆生が終わってからはラン中心の練習に切り替え、8月は練習時間のほとんどをウルトラマラソンに焦点を合わせた内容にしてきました。自分なりには今の環境下でベストを尽くしたつもりです。 その結果がどう出るか・・・
前日までの準備 2003年の大会に参加して、エイドが少なく不規則な玄海100kmでは独自の給水システムがかなり有効な事は解っていました。しかし何事もバランスで、いつでもでっかい水タンクを背負って走るのがベストとは思えません。 前日までの気象変化と天気予報によると、当日の昼間は相当暑くなることが予想されました。水が多量に欲しいところですが背中に背負うタイプでは背中全面を覆われてしまうために放熱が悪くなります。これはこれで暑い日は致命的です。 かといって腰にボトルを付けるタイプは若干安定性が悪く、走りに違和感があるのと腰の辺りの皮膚が擦り剥けてしまう問題がありました。 前日の夜までウンウン悩んだあげく、2003年はこれで優勝できたからと縁起を担いで背中に背負うタイプにしました。普段は理系とか定量的とか言っているくせに重要な判断は全く科学的じゃありません(笑)。 補給食はすんなり決まり、あまり好きでは無いけれどパワーバーを2本とパワージェルを7個にしました。朝のうちの内臓が元気なうちはパワーバーでトータルな栄養分を補給し、後半の何も食えない時はパワージェルをとにかく流し込むという作戦です。水のボトルには薄いポカリスエットにクエン酸と食塩を追加したドリンクを1.5L入れました。 なんやかんやで遅くなり、寝たのは23時頃になってしまいました。2003年は21時に寝ていたのでちょっとマイナス要因です。
当日の朝 当日は3時に起床しました。前日に用意していた荷物を車に積み込み近所のローソンに直行します。ここで小さめの「かしわ飯弁当1個」と「バナナ1本」と「アップルパイ1個」と「オレンジジュース1パック」と「コーヒー1缶」の朝食を取りました。この時点で3時15分くらいです。消化を考えるとギリギリかも。 そのまま見坂峠を超えてスタート地点の宮地岳神社に向かいます。途中で3時スタート組に合ったので車を止めて声援しました。今年はかなりの大集団です。4時前には宮地岳神社の駐車場に着き、しばらくボーとします。 都合良くウンコがしたくなったのでトイレに行きました。質量共に60点くらいのウンコが出たのでまあ良しとします。その後もぐたぐたしながら時間をつぶし、15分くらい前になって着替えて受付に行きました。 受付ではゴールで受け取る荷物を預けて後はすることが有りません。数少ない知り合いの植村さんやShinakoさん、横田さんや田中さんなどと話をしたりしました。
スタートからしばらく 5時丁度に前半組がスタートしました。2003年は県外組と言うことになっていましたが今年はゼッケン順の様です。80番の私は後半組の5時5分にスタートです。 日の出前ですが満月に近い月のお陰で路面はよく見えます。気温もまだ低くて快調です。今日の作戦は涼しいうちに出来るだけ距離を稼いでおく作戦にしました。そのためにForerunner301のバーチャルパートナーは102kmを10時間丁度にセットしてあります。 見坂峠を超えた辺りではバーチャルパートナーに勝っています。キロ5分30秒前後で走っているのだから当然です。それほどキツクも無いのでそのままのイメージで走り続けました。練習の時は心拍計をよく見ますが、レースでは変に消極的になってしまうので心拍計は見ないことにしました。 見坂峠の辺りでパワーバーを1本食べました。開けた瞬間にビタミン剤の臭いがするしネチャネチャして食べにくいし食べ終わったら軽い胸焼けがします。やっぱりこれは苦手です。私はコンビニのお菓子バーの方が楽に食えます。 脇田温泉に抜けるまでのアップダウンの道も快調です。バーチャルパートナーに対して1kmくらいリードしています。このままいくと9時間30分くらいでゴールしてしまうかもしれません。まあ、そんなに甘く無いのは解っていましたが(笑)。 間夫峠から宮田へ 快調に脇田温泉を過ぎて前半の山場である間夫峠に入ります。前の週の練習でキロ8分しか出ずに落ち込んだ峠です。しかし今日は気分よく走っているのに7分30秒くらいが出ます。メチャ調子良いぞとほくそ笑んでいましたが、前後の選手はそれほど変化がありません。と言うことは他の選手も楽に走れていると言う事みたいです。 キロ6分で走り続けるバーチャルパートナーに対して、間夫峠の頂上でも700mくらいのリードを保っていました。これから宮田までの区間は下りなのでますます差は広がります。 ちょっと暑くなってきたかなと感じながら力丸ダムを過ぎ、脇野のコンビニにも寄らずに宮田の街中に入ります。この辺りから結構暑くなってきました。この時点でバーチャルパートナーに対しては1.8kmくらいのリードを保っていたので、これから先の平地は無理をせずにキロ6分で行こうと決めます。 いつもの練習コースである万ノ浦や四郎丸の道を経由して中間点のトヨタエイドに向かいます。途中で自転車に乗った嫁さんに会いました。今日は小学校と中学校の運動会。プログラムの間を縫ってエイドに顔を出す様に言ってましたが待ちきれなくて帰る途中でした。イケイケと拳を突き上げています。私にキロ5分で走れと言うことでしょうか?!。軽く手を挙げてすれ違います。 トヨタエイドではおにぎりや冷や奴などが用意してありましたが、いつもの様にこの手の物は喉を通りません。水とスポーツドリンクだけを貰って出発しました。ここまでにパワージェルを2個食べていますからエネルギーは何とかなるでしょう・・・
灼熱の赤間へ トヨタを出て赤木峠を越える辺りからきつくなってきました。ふくらはぎに嫌な感じが走り登りでつま先を使うことが出来ません。踵だけで押し出す様に変な走りです。ペースも一気に落ちてしまいました。バーチャルパートナーにジリジリと追い上げられます。 教育大前で背中のドリンクが無くなりました。コンビニで1Lのドリンクを買って補充します。ついでに500mLの水も買って手に持って走ることにしました。私の胃腸はタフでは無いので、このような天候では「内臓→汗→気化熱」という経路だけで放熱をすることは出来ません。内臓からの吸収の部分がネックとなってしまうのです。 皆生の時に気が付いたのですが、冷却は「外部からの水→気化熱」か「氷→水」のルートに任せることにして、ひ弱な胃腸は最低限の栄養摂取だけに専念させようと言う作戦で行くことにしました。 川沿いの遊歩道に移動エイドがありました。暑くて溜まらないのでお茶を3杯くらい飲んだ様に思います。その後段々と気分が悪くなり、胃の内容物も吸収できずに溜まったままなのが解る様になってきました。無理して飲んだり調子に乗って飲み過ぎたときの症状です。 ゆめタウンからサンリブの辺りでは頭も痛くなってきました。吐き気もします。頑張って走ってもキロ6分が出ません。日曜の買い物客の中で吐いたり寝転がるのは嫌だったので、とにかく65kmのエイドまで行こうと思いました。 ふらふらして65kmのエイドに到着し、柄杓で水をくんで体を冷やし始めました。この時点では走る気はほとんど無くて、吐き気と頭痛が治まってくれとだけ考えていました。10分くらい寝ころんだ体に水をかけ続けていると何とか気分だけは回復してきました。 エイドの人と話していると、私が勝手にライバルと思っている北村さん達は17分くらい前に立ち去って行ったそうです。しかも1分も止まってないよ・・・と。チェックシートを見ると既に8名くらいのランナーがチェックを受けていました。1位どころかこのままでは10位以内も危うい感じです。またまた一気に走る意欲がなくなってしまいました。 止めようか走ろうかとしばらく悩み、このまま止めたらあまりにも格好悪いのでとりあえず前に進むことにしました。既にバーチャルパートナーからは1km以上遅れてしまいました。目の前には地蔵峠の登りが立ちはだかっています。いくら頑張ってもキロ7分も出ません。
なんとなく復活 地蔵峠をトボトボ登り高倉神社へ下っていくと1名のランナーをとらえることが出来ました。こんなペースではこれからは抜かれるだけと思っていただけに意外です。 小学校の先に移動エイドがあったのでペットボトルに冷水を入れて貰いました。クーラーの氷を貰って帽子とスパッツの中に突っ込みます。スパッツの中の氷は○玉と足の付け根の動脈を冷やしながらじわじわ溶けていき、最後は太ももとふくらはぎの筋肉を冷やします。 ボトルの水で体を冷やしながら海岸線のサイクリングロードを走っていると別のランナーをとらえました。ほとんど速度に差はないのですが、前に前に進んでいるといつの間にか並んで追い越していました。 波津の町を抜けて成田山への登りが始まります。もらった水が無くなったら自販機で水を買ってかぶります。いつもは勿体なくて100円や150円の水など買えませんが今日は特別です。 歩く様な速度で成田山を登ると前方にランナーが居ました。このランナーは登りでは歩いています。とりあえず走るポーズの私の方が少し速いので追い越します。このランナーを追い越した辺りでエイドがありました。 成田山のエイドでも水をかぶったりして体を冷やしました。水も貰って飲み物を少しだけ飲みました。一人のランナーがマッサージを受けていました。私も受けたかったけど横になると動けなくなりそうだったので立ち去ることにしました。 ペースは遅いのですがこれまでに4名のランナーを抜いています。このまま行けば5位くらいには入れるかな?と少し色気が出てきます。
諦めずに前を追え 成田山の下りが終わりに近づいた頃です。下の方に併走する2名のランナーが見えました。後ろ姿から2003年に2位と3位に入った北村さんと滝田さんと確信しました。65km地点で17分以上差があったはずなので凄く意外です。 体の中からアドレナリンがチビチビと出てきました。頭もフル回転して「彼女たちは5分前に出発だから900mくらい後ろまで追いつけばゴールは後でもタイムでは勝てる」とか計算し始めています。3個目のパワージェルを飲み込みました。 鐘崎へ向かう海岸に出ました。目測では500mくらい先に二人が居ます。このままでもタイム的には私の勝ちです。ゴールまで後20kmくらいしか有りません。下手に近づいてペースアップされると離されるかもしれません。北村さんは安定したサブスリーランナー、滝田さんは四万十で8時間19分の記録を持っているランナーです。競い合いになったら勝てません。 色々悩みながらしばらく後ろをこっそりと併走しました。このまま4位か5位を狙うのも悪くありません。でも家に帰ってから息子達にバカにされそうな気がしてきました。父親の姿として賢明な判断も大事だけど格好悪いのはもっと重大な問題です。 思い切って追い越す事にしました。彼らの精神状態を考えると残り20km地点で5分後スタートの選手に勢い良く追い越されるのはかなり厳しいはずです。ヘロヘロ状態で追い越すと後を追われるかもしれませんが、元気にガンガン追い越していけば一気に諦めモードになるはずです。 一気にペースを上げました。追い越しざまには体育会的に「チヮースッ!!」と声を掛けます。こっちも必死です(笑)。そのまま鐘崎の最後の固定エイドまで後ろを振り返らずに走り続けました。
もう一息 85kmの鐘崎エイドに到着しました。ここでも水で体を冷やしてペットボトルに水を貰い、帽子とスパッツの中に氷を入れて貰います。このやり方が効果があったのか、調子が悪いなりに安定して走れる様になってきた気がします。 ここで初めて3位だと聞かされました。しかも先頭は3時スタートの選手なので実質は2位らしいです。正規の1位は3分くらい前に出たから頑張れば追いつけるよと励まされます。 頑張って追いつこうと思いましたが、今のペースで差が縮まっているのだから無理をしない方が良いようにも思えてきました。この頃は平地でキロ6分くらいは出ていたので、しばらくこのままのペースで行って追いつけるかどうか様子を見ようと思いました。 さつき松原のサイクリングロードへ出てしばらく走ると前方に選手が見えました。キロ6分を維持していると段々距離が縮まってきてとらえることが出来ました。 ゼッケンがよく見えなかったのでこの選手が正規の2位なのか3時スタートなのか解りません。とりあえずもう一人を確認しないといけません。またキロ6分で走ります。釣川の手前で選手が見えました。こちらも割と簡単に抜くことが出来ました。 皐月橋に移動エイドがあったので止まります。後続が気になったけど暑さで自分が潰れるよりもましです。体を冷やして帽子とスパッツに氷を入れます。割と直ぐに後続の2名も到着しました。着順の1,2,3位が同じエイドにいることに成ります。あと10kmくらい・・・
前へ前へ せっかくエイドの直前でトップに立ったのに、ここで弱みを見せたり先に出発されると精神的に優位に立たれてしまいます。とりあえず強そうな顔をして(笑)、一番に出発しました。 暑さのせいで全身がかなり厳しい状態になっていましたが、ここで引き離して優勝するのと2位3位では格好良さが全く違います。ゴールまでの区間は必死で頑張ることにしました。ここで4個目のパワージェルを飲み込みます。 一番おそれていたのは3kmの砂浜です。ここで脚を痛めたり痙攣が始まったりしたら数分の遅れでは済まないでしょう。ところが幸いにもタイミング的にこの時は大潮の干潮で、硬く締まった走りやすい砂浜が私を待っていました。お陰でほとんどペースを落とさずに通過できました。 2003年は砂浜を出たところに移動エイドがありました。最後なので今年もあるだろうと思っていたら今年はありませんでした。ボトルの水は全て使い果たしています。そこで塩浜公民館前の自動販売機で水を買おうとしたら売り切れでした。あと5kmくらい有ります。ほてった体で痙攣でもしたら・・・ 150円入れてお茶を買い、1本丸ごと脚と頭にかけました。お茶の香りが汗くさい臭いを中和するのか結構快適です。ついでなのでもう一本買います。これは持って走って体を冷やすのに使います。 脚に冷たいお茶をかけながらペースを上げていきました。ここまで来られたんだから後はガンガン行くだけです。塩田跡の直線を抜けて津屋崎の街中を通り、海岸線を通ってゴールが見えてきました。最後はキロ5分を切るくらいまで上げることが出来ました。ウルトラのゴールとは思えないくらいハアハア言ってます。 ゴールテープが見えてきました。最後はダッシュしてゴールしました。「勝ったぞ!」と実感できる瞬間でした。
ゴール後 ゴール後は暑くてたまらないので裸で後続を待ちました。しばらくしたら2位と3位の選手がゴールしてきたので出迎えて、その後で風呂に行きました。2003年は乳首のテープを付けたまま風呂に入り廻りの人から変な目で見られました。今年は2回目なので経験値が上がっており、ちゃんと外して入りました。 風呂から上がった後も暑かったので上半身裸のままで他の選手のゴールを待ちました。体調が悪かった植村さんはリタイヤでした。Shinakoさんは余裕の笑顔でゴール。制限時間になってもなかなか選手が帰ってきません。3時スタートを入れても30数名しか帰ってきませんでした。かなりタフなレースだったようです。 19時から懇親会が始まりました。普通の量は食えるけど、お腹の調子がパッとしない感じだったので植村さんに相談したら薬をくれました。普通の胃薬と胃酸を押さえるヤツ。 薬が効いたのか色々と食べて喋ってしていると22時になりました。そろそろ引き上げることにします。汗臭い荷物をランティスに積んで出発しました。帰宅するコースは今朝のコースとほとんど一緒なのでなんか変な感じです。今日の朝はここを自分の脚で走っていたんだと思いながら、痛む脚でクラッチを操作して見坂峠を越えました。 |